社畜日記

私の中にある【いつ死んでもいいという覚悟】から生まれた【生きる覚悟】

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こんにちは、おつげ女です。

私には、「いつ死んでもいいという覚悟」から生まれた「生きる覚悟」がある。

どうして生まれたのか。

それは、先日かいた新規事業を任され、自分で「考え、決断、行動」をした経験からです。

その時は、「死ぬ」感覚が意識全てを覆いつくし、逃げ道なんてまるで見えなかった。死ぬしかほかに考えが浮かばなかった。そして、決断する時まで死んだ状態でした。

でも、その後、「いつ死んでもいいという覚悟」で、考え、決断、行動して「生きる覚悟」を理解することができたんです。

生きる覚悟はだれにでもある。「在り方」より「生きる」が先にあること。

生きる覚悟とは、なんて改まって話すと大げさに感じるけど、生きる覚悟はだれにでもあるものです。

単純、生きていこうとする気持ちであり意思です。

さらに前に、「どんなことがあっても、どのような状況でも生きている」がつく気持ち、意思です。

わたしが「死にそうな感覚」になっていた時は、生きる覚悟より、今の自分の「在り方」をどう守るのかに必死だった。

在り方とは、自分ちっぽけなプライド、自分の存在を表すもの、肩書きや会社での存在のこと。

「生きる」より「在り方」が生きて行く前提の前にあったんです。

今は、「生きる」の上に「在り方」がある。在り方を無くしても「生きる」は無くならない。

どんな危うい状態でも「生きる」が残り「死なない」つまり「安心」して状況を過ごせるということ。

考え方が、「生きる」より「在り方」がさきにあった時は、状況が危うくなると、その先はなにも無く、不安に押しつぶされていたということです。

「いつ死んでもいいという覚悟」から生まれた「生きる覚悟」は、どんな状況になっても生きていけるとう安心

私は、決断を迫られた時、後にはなにも無いと感じていた。

会社の地位、収入、働く場をなくす。そんな不安と恐怖が全てでした。

でも、いざ、考え、決断、行動してみて「生きる」ことの方が、自分の「在り方」より先にあり、無くならない安心感が生まれました。

今は、不安に押しつぶされそうな時、「生きる」と「在り方」を意識して、いまどちらが先にあるかを考えてみることにしています。

徐々に無意識に「在り方」より「生きる」を意識できるようになると、不安から解放され、安心して行動に移せるようになりますよ。

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