こんにちは、おつげ女です。
誰かと一緒に何かをする、しなきゃならない時、そんな時はだれしもある。
私は、そんな時、人にうらぎられやしまいかと心配になる。なぜかといえば、以前に人に騙されかなりキツイ目にあったからだ。
でも、人を判断しなきゃならない時、相手の家庭や家族をみるようにしている。
そこに全ての答えがあるからです。
師匠から言われた一言「人を判断しなくてはならない時は家庭を見ればいい」
一度困ったことがあり師匠に相談したら言われました。「家庭」を除いてみろと。
家庭をみる。家族をみる。するとそこに答えがある。
師匠は、信じるに足るか足らないかを判断するのに困った時、家庭や家族を観てきたといいます。
家族や家庭をみると、普段か会社で見えている視点ではなく、素の本心が見えてくるといいます。
そして、信じるに足らない場合は、違和感があるといいます。
違和感。それは偽り。家庭ですら偽りがある場合は危険だから距離をおくのだと話していました。
違和感を大切にする
直感で違和感を感じた時は、かならず何か問題ある。
違和感や湧いた感情は書き留めておくぐらいがいい。
後で見直した場合、重要な事が隠されている場合があるからだ。
活動的で雄弁であればあるほど、深い穴がある。私は違和感に気づいていた
私が騙されたのは、言葉が雄弁なかたでした。そう、このサイトにも登場しているお面部長です。
雄弁であるのに妙な違和感がありました。
そして、たまたま、家庭、家族と会う機会があったのですが最悪でした。
お面部長、家族にも会社での立ち位置を大きくみせたり、デキる自分が会社の要になっているような振る舞いで接していました。
言葉上は嘘にはなりません。間違いではないですが、会社に居るひと、家族、さらに社外でお面部長がいる場所では、明らかに、ひとを勘違いさせる言葉のセレクトがおかしいのです。
私が感じた違和感はそれでした。
家庭や家族の前では、違和感がより鮮明に浮き彫りにされていました。
家族にも自分を大きくみせる振る舞いで勘違いさせてるなんて。
もはや信じるに足りない。
私は距離を置き、事が大きくなり火を浴びせられる前に避ける事ができました。
ひとを信じるか信じないかを判断するのは嫌だが、世のなかには色んな人がいて、騙す方法も色々あることを知らなければいけない。
自分の身は自分でまもる。
違和感を感じたら、その感覚を大切に、家庭、家族をみてみる。
そんな判断の方法もあるというお話しでした。